http://www.kyotocinema.jp/

12.5.「緑の海平線線」ー台湾少年工の記録ー おしらせ

緑の海平線ー台湾少年工の物語ー

ドキュメンタリー&トーク(藤田修平 慶応大学教員)

第二次世界大戦中に台湾から8000余名の少年たちが日本に派遣され、海軍工員として軍用機の生産に従事した。彼らは日本でどのような生活を送り、戦争をどう捉えたのか、そして戦後、異なる社会や体制下でいかに生き抜いていったのか。「緑の海平線」は高齢に達した元少年工の記憶を辿りながら、公的な文書の残されることのなかった東アジアの歴史を記録したドキュメンタリーである。

2010年12月5日(日)「京都シネマ」 (http://www.kyotocinema.jp/) 
四条烏丸下がる西側
TEL:075(353)4723

開始時刻 上映16時

一般 1300円
シニア、学生、高校生、京都シネマ会員 1000円
このチラシ持参の方3名まで1000円

主催
ドキュメンタリー・フィルム・ライブラリー
問合せ:075-344-2371マタガワ

監督:郭亮吟
ナレーション:林強
製作:藤田修平
撮影:劉吉雄
音楽:Tibor Szemzo
2007年/日本・台湾/60分/カラー

映画祭・受賞歴
* 文化庁映画賞2008(文化・記録映画部門)大賞
* 第三十回行政院新聞局「金穂賞」2008 大賞(台湾)
* ゆふいん文化・記録映画祭 2008 松川賞大賞・観客賞
* 台湾南方映画祭 最優秀ドキュメンタリー賞 2006
* 台北国際映画祭 2006 審査委員特別賞
* 台湾国際ドキュメンタリー映画祭 インターナショナルコンペティション 2007

背景:第二次世界大戦中、労働力不足を補うため、日本は植民地であった台湾の小中学校で海軍工員の募集を行った。1943年から1944年にかけて、8000余名の台湾の少年たちが神奈川県大和市にあった海軍空C廠(のちの高座海軍工廠)に派遣された。その後、日本各地の軍需工場で軍用機の生産に従事するが、日本の敗戦でその任務は解除され、翌年、多くの少年工たちは台湾に戻ることとなった。しかし、一部の元台湾少年工にとってはこれが新たな苦難の始まりでもあった。
台湾の少年たちはどのような理由で少年工に応募し、日本にやってきたのか。彼らの個人的な事情を当時の社会的な背景と共に明らかにされていく。台湾の少年たちが日本で軍用機の生産に関わったのはわずか1年から2年であったが、この短い日本での経験が彼らの一生を大きく左右することにもなった。「緑の海平線」は、台湾から神奈川県の高座海軍工廠に派遣された少年たちの異なった人生の歩みと彼らの多様な視点を通していかに政治に一般の人々が翻弄されたということ、そして東アジアの異なった社会や体制下で何を考え、どう生き、どのような喜びと悲しみを持ちえたのか、を記録したドキュメンタリーである。

監督:郭亮吟 は第二次世界大戦後に台湾に残された零式戦闘機と彼女の家族の歴史を扱ったドキュメンタリー「尋找1946消失的日本飛機」を制作する過程で元台湾少年工たちの歴史を知った。台湾では彼らの歴史はほとんど知られておらず、郭亮吟とそのドキュメンタリーで制作を務めていた藤田修平は共同でリサーチと制作を始めた。(藤田は神奈川県大和市に移り住み、日本での調査を進めた。)2004年から国家文化芸術基金会(台湾)、交流協会(日本)、駐日台北経済文化代表処などから助成を受けることになり、本格的にドキュメンタリー制作が開始された。撮影と資料調査は台湾、日本、中国、アメリカにおいて行われ、4年の歳月を経て、2006年に完成した。

制作:藤田修平
南カリフォルニア大学で映画製作を学び、そこで知り合った台湾の同級生に招かれ、台湾でドキュメンタリー制作に関わる。台湾で監督した初長編作品「寧静夏日」はフィラデルフィア、釜山、ファジルなど国際的な映画祭で上映された。「緑の海平線」では台湾少年工のゆかりの神奈川県大和市を拠点として長い時間をかけてリサーチと制作を行う。